ひでたまいなりじんじゃ
広島県広島市南区京橋町14
広島の町の誕生する天正17年より前、五ヶ浦、五ヶ村の名前で呼ばれた時代に既に農耕守護神として崇敬されていました。 五ヶ浦、五ヶ村の時代に治水干拓工事が行なわれ広島三角州の拡大が謀られ毛利元就(14..
広島の町の誕生する天正17年より前、五ヶ浦、五ヶ村の名前で呼ばれた時代に既に農耕守護神として崇敬されていました。 五ヶ浦、五ヶ村の時代に治水干拓工事が行なわれ広島三角州の拡大が謀られ毛利元就(1497-1571)は広島城下町の形成拡大に関連して輝元(1553-1625)の広島築城に遡る事三十有余年前の弘治元年寺家の内川内衆有力者山県就知に約束し種々の名稱で堤が築かれ耕地の拡大が奨励された故今の京橋川、猿猴川分岐点になった台奥の鼻(通称デビ)に治水用築堤工事を行ない出水の被害から守り又これより南にあたる。 段原比治山新開地に農業用水を引く堰の工事も行なわれその際の事故犠牲者を堤の守護霊として後に秀れた魂の持ち主という意味で秀玉の神号を奉つり祭祀が行なわれてきました。 ~秀玉稲荷神社由書~より
秀玉稲荷大明神 堰(おせき)稲荷大明神 桃柘榴稲荷大明神
山陽本線広島駅より徒歩約5分