無量光院跡は国の特別史跡に指定されている。2011年(平成23年)6月26日、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。
無量光院は、奥州藤原氏3代・秀衡によって12世紀後半に造営された。
鎌倉時代前半を記した歴史書『吾妻鏡』には「宇治の平等院に模す」と記述されており、日本の10円硬貨にも描かれている京都の「平等院鳳凰堂」をモデルに造られた荘厳な寺院であった。
境内の中心には池があり、その中島に本堂である阿弥陀堂が建っていた。阿弥陀堂の柱間の距離や、左右に伸びる翼廊の長さは平等院鳳凰堂を超える大きさだったという。
阿弥陀堂の真西には金鶏山があり、春分、秋分の夕刻には、建物の背後にそびえる金鶏山の山頂へと沈みゆく夕陽が眺められた。その光景を眺めながら、当時の人々は西にあるという極楽浄土を思い描いたのであろう。
奥州藤原氏の滅亡後、無量光院は荒廃・消滅し、現在は池跡と中島、礎石のみが残る。
現在、「無量光院跡」として史跡の発掘調査と周辺の整備が行なわれている。