とみつかしんめいぐう
静岡県浜松市中区富塚町3289
創建年代は不明であるが、建久三年(一一九二年鎌倉幕府成立の年の伊勢 神宮文書「神鳳鈔」に、大草御厨(おおつかみくりや)という伊勢神宮領の 荘園が記録されており、富塚神明宮はこの御厨の守護神社として、..
創建年代は不明であるが、建久三年(一一九二年鎌倉幕府成立の年の伊勢 神宮文書「神鳳鈔」に、大草御厨(おおつかみくりや)という伊勢神宮領の 荘園が記録されており、富塚神明宮はこの御厨の守護神社として、 九五〇年前後(平安時代中期)に成立したものと考えられる。 一一八〇年頃、佐鳴湖湖畔の御茶屋橋付近に、源範頼 源頼朝の弟で源義経 の兄)が別邸を建設しており、 神明宮との交流があったことから、八幡大神が祭神に加えられた。 その後室町時代末期の永禄元年(一五五八年)には、火災により社殿を焼失 したが、一五六〇年に今川義元から銀五貫目を拝領して再建したことが、社伝の古文書に残されている。 (織田信長は、この年上洛途中の今川義元に、桶狭間の戦で勝利している。 徳川家康は、今川家の人質で十七歳であった。) 江戸時代中期になると、元禄十五年(一七〇二年赤穂浪士討ち入りの年)に、
時の浜松領主の青山下野守忠重から、毎年米五石を寄進するとの沙汰があり幕末まで寄進社となっている。 明治十二年には村社の指定を受けた。明治以降では、明治十二年と昭和二十九年に社殿を新築している。来る二〇六〇年は、永禄の再建以来五百年にあたるので、これを記念して盛大な祭典を開催することが計画されている。
あり