おおはらじんじゃ
広島県広島市南区向洋大原町37−1
申し伝えによると永禄年中(1558〜1570)、当地で通年悪病流行して死者多く、また幾度となく火災に見舞われ家屋を焼失したので妙見山へ社を創祀し壤災を祈ると、忽ち悪病退散し火災鎮息しました。 それ..
申し伝えによると永禄年中(1558〜1570)、当地で通年悪病流行して死者多く、また幾度となく火災に見舞われ家屋を焼失したので妙見山へ社を創祀し壤災を祈ると、忽ち悪病退散し火災鎮息しました。 それより当地は火災疫病にて浦中安寧なり住民、この恩頼を謝し旧暦9月29日渡御の祭典を毎年執行していました。その後、妙見山より大原へ鎮座しましたがその年月は不明。 宇賀御魂神は旧稲生神社の祭神で明治4年(1871年)に当社に合祀。天之常立命は元妙見山神社の祭神だったのを合祀。大国主神、事代主神は元堤恵比寿神社の祭神だったのを合祀。奥津日子神、奥津比売神、火具土神の三神は元詳森神社祭神を合祀したもの。
伊邪那岐命 伊邪那美命 加具土神 須佐之男命 大綿津美神 事代主神 豊玉昆売神 宇賀御魂神 天之常立神 大国主神 奥津日子神 奥津比売神
一間社流造、唐破風付き、銅板葺
無料
有り