ようぎょうじ
群馬県前橋市三河町1-18-13
法華宗のお寺です。当山は、安土桃山時代に三河の国、西尾の城主酒井正親(松平清康・広忠・徳川家康の三代に仕えた)の妻世久院雪姫の発願に依り、三河に創建されました。 ご開基・雪姫の法号「世久院殿妙養日..
法華宗のお寺です。当山は、安土桃山時代に三河の国、西尾の城主酒井正親(松平清康・広忠・徳川家康の三代に仕えた)の妻世久院雪姫の発願に依り、三河に創建されました。 ご開基・雪姫の法号「世久院殿妙養日清大姉」と御開山聖人の法号から、世久山大乗院養行寺と称してきました。 雪姫は、酒井家と同じように徳川家康の重臣石川安芸守清兼で石川家は代々法華経を深く信仰し、雪姫が正親に嫁すときに曼荼羅を携えて入輿されたと云います。 正親・雪姫の二男酒井重忠は、天正十八年川越城主となり、次いで酒井家前橋藩の初代藩主として移封されたのは慶長六年(1601年)でした。当寺も重忠と共に移り、厩橋(前橋)城内本丸近くに寺域を与えられたが洪水や河川侵食で現地に移転。 当山の移った寺域には小高い山があり、その頂上に静御前(しずかごぜん)の塔が悲劇の伝説と共に立っていました。現在当山境内に残る黒い多重塔であります。この山は、やがて城主の重忠の霊夢に「天神様」が出現したことから天神山と言われるようになりました。以来この天神様は当山に安置されて、鬼子母神堂の鬼子母神様と共に悩める人々の願いを叶えてきました。 この本堂に隣接する鬼子母神堂も雪姫が領内の子供の安全を祈願するために建立されたものと伝えられています。かつてこの鬼子母神様はおメコ(お命講)さまと親しまれ、その大祭は近郷近在の善男善女で埋まり、日本百奇祭の一つと云われました。現在、地元の中川かるたでは「き」として「鬼子母神 酒井氏ゆかりの 養行寺」とよまれていますとパンフレットに書いております。
世久山
大乗院
法華宗
法華宗 世久山 大乗院 養行寺