よのじんじゃ
京都府亀岡市曽我部町寺蛇谷1
「諸国鎮座神秘抄」によると奈良時代に四道将軍丹波道 主命を国家の平和鎮護の為祀った与能神宮寺が起源 とされ、現御旅所を中心に、曼荼羅堂、講堂等寺区全域に 伽藍を誇り、皇室の崇敬篤く口丹波南部の中心と..
「諸国鎮座神秘抄」によると奈良時代に四道将軍丹波道 主命を国家の平和鎮護の為祀った与能神宮寺が起源 とされ、現御旅所を中心に、曼荼羅堂、講堂等寺区全域に 伽藍を誇り、皇室の崇敬篤く口丹波南部の中心として 隆盛をきわめたが鎌倉時代以後兵火にあい焼失した(礎石、古 瓦が現存)また「谿端與能宮旧記」によると、空海が嵯峨 天皇の命により神宮寺を開き奥院露堂で 護摩修行を行い、後嵯峨天皇の代に村山、与能 など八庄を神領として寄進を受けたとされる。 立派な彫刻のある本殿は三間社流造で、現存する慶長 八年(一六〇三)の棟札によると社殿が文応元年(一二六〇)に建立され、 慶長元年(一五九六)に地震により倒壊し、同八年に再建され たことがわかる。現在の本殿は正徳四年(一七一四)に改修され たものと考えられる。境内には応永二十一年(一四一四)の銘のある 石灯籠があり、境内の百太夫社は芸能の神と してその方面の崇敬をあつめている。(境内案内板より)
丹波国桑田郡の式内社で、奈良時代に四道将軍丹波道主命を国家の平和鎮護の為祀った与能神宮寺が起源
事代主命、健御名方命、天照皇大神、天兒屋根命
旧郷社 式内社
與能神社本殿 府登録文化財
無料
有り
なし