れんちじ
三重県伊賀市上野恵美須町1508
室町時代の永禄年間(1558〜1569)の頃、地元の豪族であった田中判官教近(教然大徳)が、 三宝に帰依して諸国を行脚した折、比叡山光明寺の智聖坊から、阿弥陀如来座像一体と、蛭子像一体を譲り受け、伊..
室町時代の永禄年間(1558〜1569)の頃、地元の豪族であった田中判官教近(教然大徳)が、 三宝に帰依して諸国を行脚した折、比叡山光明寺の智聖坊から、阿弥陀如来座像一体と、蛭子像一体を譲り受け、伊賀上野南の郊外に草庵を結んだのがその始まりである。 しかし、江戸時代に2度火災に遭い、本堂を失った。その再建もままならぬときに、業火に遭い続け衰微した。 それを寛永年間(1624〜1643)の心譽浄林上人の中興、文化年間(1804〜1817)の本堂再建を経て落ち着いた。 境内にはまた、大正4年(1915年)に旧友生街道よりご遷座された延命地蔵菩薩を祀る地蔵堂、そして隣には、木造十一面千手観音像を祀る観音堂もある。
紫雲山
浄土宗
永禄年間(1558〜1569)
阿弥陀如来座像
田中判官教近(教然大徳)
寛永年間(1624〜1643)
心譽浄林上人
法然上人伊賀二十五霊場 第3番札所
5月第2土曜日:木造十一面千手観音像ご開帳
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