しんどうじ
三重県伊賀市中村606
九百年程前、天喜年間に字新堂という所があり、新堂天王及び八柱の神を祀る社の傍らに古渓山新堂寺と号す別当があり、観世音菩薩が安置された。 周囲の人々の帰依も厚く保元年度に堂宇も改築されたが、応仁年間..
九百年程前、天喜年間に字新堂という所があり、新堂天王及び八柱の神を祀る社の傍らに古渓山新堂寺と号す別当があり、観世音菩薩が安置された。 周囲の人々の帰依も厚く保元年度に堂宇も改築されたが、応仁年間において兵火で惜しくも焼失。 その後、信仰の厚い衆によって文明年間に現在地に移転・再建されたが、再び天正年間・伊賀の乱において織田信長の軍勢によってことごとくが焼失された。 この後、復興に手間取り仮本堂が再建されたのが文化十二年と伝えられているが、宗派その他記録が一切残されていない。 当山が明確となるのは、草創開山以後となる。
永昌山
曹洞宗
十一面観音菩薩
「三重梅花百観音霊場」第29番札所
随時
無し
約15分
有り