歴応元年(1339年)井伊道政とともに、この地で戦乱に明け暮れていた南朝の宗良親王は、敵の流れ矢を受け、落馬してしまいます。すぐに従者が駆けつけましたが、不思議なことに傷は消え跡もありません。
井伊谷城にいた親王は、その夜、観音様の夢を見ました。翌朝、すぐに参拝すると、観音様の片足は鮮血に染まっていました。親王は「自分の身代わりとなってくださった」と涙を流し、終生の守り本尊として常に念持し祈願したと伝えられています。
戦国時代、観音様を祀った建物は、直虎の大叔父、直満の屋敷となったとされています。その死後は、直満・直義兄弟、そして親王の観音様を祀る円通寺となりましたが、堂は荒れ果て、本尊は三方原の戦いのときに焼失してしまいます。
現在のお堂は、慶安2年(1649年)に龍潭寺の和尚が再建したものであり、昭和31年(1956年)に円通寺は普光寺と改名されました。
観音堂は、親王の伝説から足切観音と呼ばれ、武運長久やまた足の病気を治す観音様としていまも信仰を集めています。