りょうのべじんじゃ
広島県広島市安佐北区亀山南3丁目18-40
往古より「可部の宮」「西の宮」とも称され旧安芸国高宮郡可部之庄大毛寺村白石山御鎮座の社で漢弁の庄(河辺の庄)総鎮守として、又地方一帯の守護神として人々の篤い崇敬を受けてきた社であります。御鎮座年代は..
往古より「可部の宮」「西の宮」とも称され旧安芸国高宮郡可部之庄大毛寺村白石山御鎮座の社で漢弁の庄(河辺の庄)総鎮守として、又地方一帯の守護神として人々の篤い崇敬を受けてきた社であります。御鎮座年代は詳らかではありませんが 宝亀元年(770年)先仁天皇の御代勅宣により安芸国河辺庄大文字八幡両野辺山下三百四貫を神領として許されたとする古文書等から考えますと凡そ1200年前には既に御鎮座あったものと推定されます。あと、天仁元年(1108年)には鳥羽帝の勅状により東西二十八丁領有、平治二年(1160年)二条天皇の御代五十丁の領有を許されております。更に建久元年(1190年)時の銀山城主武田朝信公が宇佐八幡宮の御分霊を下四日市村に御勅請、建長五年(1253年)信時公、白石山に奉遷、爾後「八幡宮」とも称されることとなりました。くだって宝永三年(1706年)近郊十二ヶ村の氏子により再建造営され総氏神として崇敬維持されるようになり現在に至っております。
品陀和気命 息長帯比売命 神倭伊波礼昆古命 多紀理昆売命 市寸島比売命 田寸津比売命 天児屋根命
郷社
JR可部線 あき亀山駅より徒歩13分 バス 虹山団地下バス停より徒歩4分
無料
あり