まんぷくじ
三重県伊賀市上野寺町1157
当山は平安の昔、後白河法王の勅願にして平清盛の建立であり、 現在の上野城東方の所にあったと伝えられている。 当時は上野山平楽寺と号し、諸堂及び子院三十六坊を有したが 天正の兵火にあい、悉く焼尽..
当山は平安の昔、後白河法王の勅願にして平清盛の建立であり、 現在の上野城東方の所にあったと伝えられている。 当時は上野山平楽寺と号し、諸堂及び子院三十六坊を有したが 天正の兵火にあい、悉く焼尽する。 その後再建されたが、元禄十年正月十七日の夜、類焼にかかり再び焼失。 その時伊賀越仇討の原書渡辺数馬、荒木又右衛門の実記等も焼失。 当時のことを今に伝えているのは、 境内の一角に祀られている河合又五郎の墓所と、 彼の遺品だけである。
上野山
無量壽院
真言宗
豊山派
阿弥陀如来
「伊賀四国八十八ヶ所霊場」 第75番札所 「伊賀忍者回廊」 第5番
有り