智勝山と号す臨済宗建長寺派の寺院。『新編武蔵風土記稿』によれば「当院の境内は天正以前、立川宮内少輔の一族が居住せし跡なりと云う。小高き丘にて多摩川を南にかまえ、境内よりも清泉湧出、門前には洗坂などと云える所あり」と記してあるが、立川氏の居宅の跡地に寛永元(一六二四)年三月万松和尚が創建した。開山は京都天竜寺の夢窓疎石を請じたと伝えられている。天和二(一六八二)年に遷化された太領和尚を中興の祖として発展をみるようになり、文化一三(一八二ハ)年に再建寄進されたことが、中野家の文書に記されている。昭和二〇年四月の大空襲により全焼したが、昭和三六年に現在の鉄筋コンクリートの仏堂が建立された。文化一三年に寄進された鐘楼が現存している。本尊は観世音菩薩である。(「昭島市史」より)