伊弉冉尊、速玉之男命 事解男命を祭神とするこの神社は、延文五(一三六〇)年篠為右衛門の先祖が伊勢参宮の帰路に紀伊国の熊野本宮に立寄り、熊野神社から分霊を勧請奉斎したことに始ると伝えられている。かつては、「熊野大権現」「熊野大神」と称していたが、明治二九年四月二一日熊野神社と改称した。境内には末社として稲荷神社、八坂神社、床浦神社がある。
現在の社殿は嘉永五年(一八五二)に中野久次郎が再建奉納したものである。
なお、祭礼に奉納する獅子舞は三五〇年の伝統があるといわれ、市指定無形民俗文化財に指定されている。獅子舞についての詳細は民俗芸能の章を参照されたい。また、境内には幹の周囲七メートル、高さ四五・五メートルの大いちょうの木があり、樹令四〇〇年と言われ、市の天然記念物となっている。(「昭島市史」より)