かりんいん
三重県桑名市長島町長島中町54
長島藩主松平、増山両家の位牌所。家康の異父同母弟である松平康元が父俊勝の冥福を祈るため、三州西郡に一寺を建て父の法号を採って花林院と名づけた。 その後松平氏は下総関宿へ移封。さらに大垣、信州小諸..
長島藩主松平、増山両家の位牌所。家康の異父同母弟である松平康元が父俊勝の冥福を祈るため、三州西郡に一寺を建て父の法号を採って花林院と名づけた。 その後松平氏は下総関宿へ移封。さらに大垣、信州小諸へと移封されたので、寺もこれに従って移転した。松平良尚(よしひさ)が長島藩主となると花林院も長島に寺基を移した。その後増山氏が長島に入封すると増山氏もまた花林院を代々の位牌所として庇護した。 墓所には増山氏の13基の墓碑がある。また菅沼定仍(さだより)の室、菅沼定盈(さだみつ)の継室の墓も残っていることから、花林院以前にこの地には菅沼氏の女系の菩提寺、祈願所があったものと思われる。 昭和36年(1961)天保年間建立の本堂が焼失、その後鉄筋コンクリートで再建された。鐘楼、地蔵堂、山門に当時の面影が偲ばれる。なお山門脇に禅寺らしく大きな「禁塔」がある。
磐龍山
曹洞宗
「三重梅花百観音霊場」 第45番札所
有り