りしょういん ふどうじ
三重県伊賀市沖1911
寺伝によれば、貞観年中(859~77)智証大師が諸国巡業の際、当地を鬼門を塞ぐ仏法繁栄の霊地であるとして、堂宇伽藍を建てたのが当山の開創とされる。時は移り嘉禎年中(1235~38)西大寺開祖興正菩薩..
寺伝によれば、貞観年中(859~77)智証大師が諸国巡業の際、当地を鬼門を塞ぐ仏法繁栄の霊地であるとして、堂宇伽藍を建てたのが当山の開創とされる。時は移り嘉禎年中(1235~38)西大寺開祖興正菩薩が真言律宗を各地へ広められたみぎり、当山の荒廃ぶりを歎かれ、復興に尽力され再建されたと伝える。爾後三百数十年に亘り寺運は繁栄したが、天正の兵火で堂宇悉く焼失してしまう。その後天正十五年(1587)祐泉律師が再建し、中興開山された。のち藩主藤堂家の祈願所となるなど、堂宇は荘厳を極め、栄えたが、明治十九年(1886)に火災に遭い、堂宇は灰燼に帰した。その後昭和六年(1931)旧態同形の現在の立派な本堂を再建して今日に至っている。本尊の秘仏不動明王は明治二十九年(1896)三月不思議な夢告により、伊勢の久留山威勝寺より奉迎した霊仏で、その昔弘法大師が伊勢大神宮の御用材で作らせ賜ったと伝えられる尊像である。また当山安置の等身大の十念弘法大師尊像も大師四十二歳の厄除のため刻まれた御自作のものと伝えられる。地方には稀にみる霊仏といわれる。境内には、愛宕堂、薬師堂ならびに天文三年(1534)銘の地蔵菩薩石仏がある。不動明王、脇仏二体と、絹本着色の過去、現在、未来の千仏画像三幅は市の文化財に指定されている。往古、三井寺中興開山の智証大師が創建されたという当山は、今日なお、昔日の面影を偲ばせ人々の信仰を集めている。
引谷山
利生院
真言律宗
貞観年中(859~77)
不動明王
智証大師
「三重四国八十八ヶ所霊場」第38番札所 「伊賀四国八十八ヶ所霊場」第34番札所
有り