じょうふくじ
三重県伊賀市古郡559
当山の歴史は古く、奈良時代に遡る。創建は、養老六年(722)。徳道上人開基。 和州豊山長谷寺(総本山長谷寺)の開基である徳道上人が、長谷寺本尊の十一面観世音菩薩執行成就後に当地に於いて、「南面が晴れ..
当山の歴史は古く、奈良時代に遡る。創建は、養老六年(722)。徳道上人開基。 和州豊山長谷寺(総本山長谷寺)の開基である徳道上人が、長谷寺本尊の十一面観世音菩薩執行成就後に当地に於いて、「南面が晴れて霊鷲山に良く似た名利の地である」として、長谷寺本尊十一面観世音菩薩造立の余材を用いて稽文會・稽主薫の二人の仏師に命じて本尊五大明王を造り、仏閣を修造した後、天平二年(730)聖武天皇に上奏して勅願寺に定められた。 その様は「寺垣東西四町三十間、南北は長短有り。本堂六間四面、他に妙法経堂・鐘樓・金剛力士の仁王門・客殿・厨裏以上瓦葺。寺領定成九十六石」と伝えられている。 大同二年(807)願安大師中興。興福寺末であった時代もあり、「興福寺官務帳」には「僧坊十八宇 交衆十人」と、相当有力な寺院であったことが記録されている。
天正伊賀乱において、本尊のみを残し堂宇を悉く焼失。その後、紀州根来より宥俊法印が入山し元和元年(1615)に当寺を復興。宥俊法印を中興開祖としている。 徳川時代は、藩主藤堂家の祈願所として保護を受け、寺運も挽回し、寛政八年(1796)慶応法印が現在の本堂を造営。
その後、明治三十四年(1901)光如法印代に一度、次いで昭和五十五年(1980)に現住職杲深による屋根瓦葺替の大修理が行われており、現在に至っている。 また当山は、伊賀四国八十八所霊場第二十九番札所、東海三十六不動尊霊場第二十七番札所でもある。
江寄山
明王院
真言宗豊山派
722年(養老6年)
五大明王 【 不動明王 】 【 降三世明王 】 【 軍荼利明王 】 【 大威徳明王 】 【 金剛夜叉明王 】
徳道上人
「三重四国八十八ヶ所霊場」 第40番札所 「伊賀四国八十八ヶ所霊場」 第29番札所 「東海三十六不動尊霊場」 第27番札所
本尊五大明王(国指定重要文化財)