ばんしょういん
京都府宇治市五ヶ庄三番割34-6
萬福寺の塔頭。 寛文11年(1671年)、萬福寺創建に尽力した龍渓性潜の塔所として創建されました。 龍渓性潜(1602~1670)は京に生まれ、臨済宗妙心寺派の普門寺で出家。慶安4年(1651年..
萬福寺の塔頭。 寛文11年(1671年)、萬福寺創建に尽力した龍渓性潜の塔所として創建されました。 龍渓性潜(1602~1670)は京に生まれ、臨済宗妙心寺派の普門寺で出家。慶安4年(1651年)、大本山妙心寺の住職となり、朝廷より紫衣を賜ります。後水尾法皇から厚い帰依を受け、光子内親王(後水尾皇女)の受戒の師を勤めました。明暦元年(1655年)、隠元隆琦を自坊の普門寺に迎えて住持とし、弟子入り。その後は萬福寺創建に尽力しました。明暦3年(1657年)、後水尾法皇より大宗正統禅師の号を受けます。寛文10年(1670年)、大坂の九島院で行われた斎会に参加してる際に暴風雨に遭い、堂宇で座禅したまま洪水にのまれて溺死。 翌寛文11年、弟子東巌が開基となり、龍渓を開山として創建。龍渓の法弟子である後水尾天皇の命により、龍渓の真骨塔である金光塔が建てられています。
黄檗山
黄檗宗
龍渓性潜
宇治十三社寺霊場第12番札所