日吉神社は、史跡上総国分寺跡近くに所在し、旧能満村の鎮守として古い歴史をもっている。社伝によると、天武2年(674)に近江国滋賀郡の日吉神社から勧請したといわれ、大国主命を祀り、江戸時代には将軍徳川家光から六石二斗の神領を与えられていた。上総国町村誌に「能満村モト府中ト称ス」とあり、幕末から明治時代にかけて国学者として活躍した立野良道は「国府ノ旧跡能満村也」といい、上総国の国府との関係も考えられる神社である。
この本殿は、正面3間・側面2間で正面1間に向拝をもつ三間社流造の銅板葺である。石組の基壇の上に建ち、太い円柱を配している。屋根の妻部分の舟肘木などから推定すると、かつては重厚な茅葺屋根であったことが推測される。全体に禅宗様式の影響を受けない純粋な和様式で統一された簡素な形で、建立当初の部材を多く残している。
内部は前後2室に分かれており、向拝部分の床は板張りにした「みせ棚造」に似た形となっている。本殿左右の側面には縁がなく、それに伴う手すりと脇障子もない本殿形式から、建築年代は室町時代末期と推定される。