じんぞうじ
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ内院ノ芝60
延暦七年(七八八)比叡山延暦寺を建てられた伝教大師最澄が、その二年後の延暦九年(七九〇)に、延暦寺の薬師如来と同木で薬師如来坐像を刻まれ、この地に堂宇を建ててお祀りになったのが、この寺の始まりです。..
延暦七年(七八八)比叡山延暦寺を建てられた伝教大師最澄が、その二年後の延暦九年(七九〇)に、延暦寺の薬師如来と同木で薬師如来坐像を刻まれ、この地に堂宇を建ててお祀りになったのが、この寺の始まりです。この地は比叡山の真西にあたり、朝日に映える山ふところにあるところから、朝日山神蔵寺と名づけられました。天台宗の道場として栄え、正暦年中(九九〇~九五)には塔頭二十六を数える大寺であったといわれます。治承四年(1180年)源頼政が平家に敵対して兵を挙げた際、当時僧徒たちはそれに加勢し、大津三井寺と呼応して宇治川に馳せ参じた。しかし頼政は敗れ、当寺は平家に寺領を没収されて堂塔は荒廃した。その後鎌倉時代の1235年に復興され僧侶を20数名抱え信仰を得ていた。天正三年(1573年)明智光秀の兵火により焼失、薬師本尊と両菩薩は岩山に隠して難を逃れたと言われる。
朝日山
臨済宗
妙心寺派
延暦九年(790年)
薬師如来坐像
伝教大師最澄
西国薬師霊場第四十三番札所
本尊の薬師如来坐像は、優美な中に包容力を感じさせる藤原末期の様式を伝える尊像で、国の重要文化財に指定されています。
入山料300円
有り