こうたいじんぐうしゃ
京都府宇治市広野町東裏106
淀藩第二代藩主 永井信濃守尚政公が、慶安二年(一六四九年)広野新田村を創設した時に、円蔵院の鎮守として、天照大神を奉祀した。 その後、広野神社と称されたが、いつの頃からか今の社名になっている。 ..
淀藩第二代藩主 永井信濃守尚政公が、慶安二年(一六四九年)広野新田村を創設した時に、円蔵院の鎮守として、天照大神を奉祀した。 その後、広野神社と称されたが、いつの頃からか今の社名になっている。 明治維新の神仏分離令により、円蔵院から離され村方三役が、この神社を引請けることとなり、民衆の信仰の対象となる。 昭和三十六年(一九六一年)第二室戸台風により、本殿他社殿が倒壊したが氏子中の熱意により昭和三十八年十二月現社殿が滞りなく復興竣工した。
天照大神