ひるこじんじゃ
鹿児島県霧島市隼人町内2563
「二宮」とも称される蛭兒神社は、鹿児島神宮から石體神社を経由して北東1.7kmほどの地に鎮座しています。創建は定かでありませんが、遠く神代の創建と伝えられ、「大隅國之二宮・蛭兒神社」に比定されている..
「二宮」とも称される蛭兒神社は、鹿児島神宮から石體神社を経由して北東1.7kmほどの地に鎮座しています。創建は定かでありませんが、遠く神代の創建と伝えられ、「大隅國之二宮・蛭兒神社」に比定されている古社です。御祭神は蛭児尊の一座。現在の社域は寛延3年(1750)の遷宮・御造営と伝えられています。御祭神の蛭子は恵美須とも称され、福徳の神、漁業・航海・商売の神として信仰されています。社殿は平成23年7月に新たに造営されたものです。 御祭神の蛭児尊は、伊奘諾尊と伊弉冉尊との間に最初に生まれた御子神です。伊奘諾尊と伊弉冉尊は蛭兒神を大変かわいがっていましたが、子作りの際に女神の伊弉冉尊から先に、男神の伊奘諾尊へ声をかけた事が原因で、蛭児尊は生育せかなわず、3歳になっても足腰が立ちませんでした。そのため、伊奘諾尊と伊弉冉尊は嘆いて高天原たかまがはらから、蛭児尊を天磐楠船に乗せられ淤能碁呂島からお流しになられました。 その蛭児尊が流れ着いたのが当地とされ、天磐楠船から不思議なことに枝葉が生じて、成長して巨木になりました。その楠の実が落ちて「なげきの杜もり」一帯に繁茂しますが、歳月を経て故事に由来する楠は朽ち果てて空洞を生じ、根株のみとなります。その楠の枯れた木株の絵図えずが、天保14年(1843)の「三国名勝図会さんこくめいしょうずえ」に載っており、今も「神代かみよの楠くすのき」として呼ばれ尊とうとばれている木株きかぶにあたると思われます。現在の御神木ごしんぼくは、享保きょうほう13年(1728)国分地頭こくぶじとうの樺山久初かばやまひさはつが植え継いだものです。また、境内けいだいには尊みことが流された時、釣り竿あるいは舟を進めるための水棹みさおとして用いたと伝えられる金色の節を持つ「金筋竹」も生えています。社宝しゃほうとしては、神域しんいきにあった神代古跡から出たと思われる、今から1200-1300年前の唐式鏡からしきかがみの猊禽獣文帯華文鏡さんげいじゅうもんたいげもんきょうが保存してあります。
尚なお、付近一帯は親神おやがみの心を察して「奈毛木神森なげきのかみのもり」とも称され、大隅おお
蛭児神社(ひるこじんじゃ)は鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。江戸時代までは正八幡(鹿児島神宮)に次ぐ大隅国の二宮とされ、二之宮大明神と呼ばれていた。
蛭児尊
大隅国二宮 旧村社
伝神代
6月16日
あり