廻向山恩徳寺は山形県西置賜郡飯豊町大字萩生に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。恩徳寺の創建は天安元年(857)に柿本紀僧正真済(平安時代の高僧弘法大師空海の高弟)により開かれたのが始まりとされ、天安2年(858)に境内が整備されました。
伝承によると貞観年間(859~877年)に真済が牛に乗って当地を訪れた際、牛の蹄が破れたとの故事から「破牛」という地名が発生し、その後、白い萩が咲き誇るようになった事から「萩生」に改められたと云われています。
当初は山王原に境内を構えていましたが応永年間(1394~1428年)に当時の萩生城の城主国分光信が萩生城の出丸にあたる現在地に移し歴代の祈願所としました。
寺宝である絵馬「間引きの図」は明治27年(1894)に奉納されたもので縦1.5m、横1.8m、当時の風習だった「間引き」を諌める為に描かれた貴重のものとして飯豊町指定文化財に指定されています。
恩徳寺境内にある芭蕉句碑は文化7年(1810)に長流外萩生連により建立されたもので松尾芭蕉が後半から晩年に詠まれた「この寺は 庭いつはいの 芭蕉かな」の句が刻まれています。石現文殊尊堂は古くから「知恵の文殊」との別称があり信仰の対象となっています。
本尊の御黒箱尊(五智如来尊)は弘法大師空海が入唐(当時の中国)した際に請来し、高弟である真済が「御黒箱」に入れて当地まで運んだもので全国でも尾張国(愛知県)の萬徳寺と大和国(奈良県)の宝生山と当寺の三箇所しか存在しないとされます。宗派:真言宗豊山派。本尊:御黒箱如意宝珠、金剛界大日如来。