そんしゃしんめいぐう おおくにぬしじんじゃ
群馬県前橋市上沖町89
天平神護2年(766)社殿を造営する。その後、乾元元年(1302)歳社殿を改造。応仁2年(1468)焼失。 文明3年(1471)社殿を新築する。その後、承応元年(1652)事変のため焼失。 同年..
天平神護2年(766)社殿を造営する。その後、乾元元年(1302)歳社殿を改造。応仁2年(1468)焼失。 文明3年(1471)社殿を新築する。その後、承応元年(1652)事変のため焼失。 同年、直ちに社殿を新築し、小神明から御神体を奉遷した。その際、村人は境内に杉・松・椎の木等を植え、社殿を守ることにした(現在、御神木の大木(椎の木)が現存する)。 更に、享保二2年(1717)に改築、その後、天明6年(1786)に、この地(上沖の郷)を治める徳川の重臣、岩本内膳正利が自宅の守護神として江戸屋敷に祀っていた「大黒天」を奉安した。この大黒天は、徳川家光の手掘りの像と伝えられている。 明治5年(1872)区画制定の際、十二ケ村の郷社に列せられ、明治42年(1909)に幸塚町の赤城神社を合併、大正3年(1914)に村社となる。 現在の社殿は、昭和11年(1936)の境内復興の際に再建されたものと思われる。
正式な社名は「神明宮」であるが、地元では「大黒様」と呼ばれている。
村社神明宮 大日霊命(おおひるめのみこと)
大国主神社 大穴牟遅命(おおなむちのみこと)
旧村社
天平神護2年(766年)
隣接する公民館駐車場を利用
有り