当社は永禄年中 山谷村百姓一同にて郷中鎮守として奉斎。
御祭神は生活の基をなす食を司る神として御神威を発揚され四百数十年に亘り庶民の信仰を集め尊栄を見守る。
馬頭観音合祀 寛文三年(1663年)四代将軍家綱日光社参の砌 御乗馬 名馬【荒波】千住宿にて死亡 依って当社に於いて荒波馬頭として是を奉る。将軍のあいばを奉る縁により敷地六十坪は余地となって年貢は免除となる。日本堤の土手下に有り「土手のお稲荷さん」として江戸時代より現在に至るまで多くの人々に崇められる。
境内には江戸時代随一の力持ち「三ノ宮卯之助の力石」が奉納されている。 (境内の案内より)