奈良時代の天平9年に行基菩薩によって野上町の頂見山頂見寺の僧坊総持院として創建され、平安時代の保元平治の乱による兵火に罹り衰頽しましたが、鎌倉時代の建久7年に文覺上人によって和光山佛眼寺として現在地に再興し、明治20年に東江原の青龍山華蔵院を合併したそうです
昭和33年に野上町の頂見山文殊院を合併して和光山兩山寺と改称したそうです
頂見山文殊院は奈良時代の天平9年に行基菩薩によって頂見寺の僧坊西之坊として創建され、室町時代の天文年間に兵燹により焼失し、江戸時代の万治元年に弘辯和尚によって頂見山文殊院として再興され、昭和33年に東江原町の和光山佛眼寺に合併され、本堂は平醫山寶蔵院の本堂として移築されたそうです