津軽稲荷神社は、青森県弘前城主四郎為信十万石の下屋敷にて一万坪は明治四十三年の大水害と共に拂下られ太平町一丁目町会の所有となる。昭和七年町名変更の際、錦糸町一丁目会の守護神となり、神祭は伏見稲荷神社の分社にて町民の進行厚く、大正十二年関東大地震及び、昭和二十年戦災の為消失。昭和三十五年拝殿及び社務所会館再生落成いたしました。又、弁財天は江之島弁財天の分社で鳥居は明治百年を記念して昭和四十四年再建されました。町民一同之信仰の的とされて居ます。
尚、津軽華子様常陸宮様との御結婚之際、当町より津軽家に御祝品贈り御礼として礼状及び記念品を頂戴致しましたので神社内に保存してあります。