鷲倉(わしのくら)神社は、福岡地区の村社として地域で崇拝されてきました。口碑では「推古天皇の御代(592年~628年)、登喜多磨路(ときたまろ)の勧請するところ」と伝えられており、山そのものを祀って権現と崇められていました。
社殿は、西方の最高所に鎮座し、屏風岳西方にある鎖集落から鉄鎖に頼って参拝していましたが、強風で破壊され東方へ移築し、参拝路も小山集落よりに移された。現在の社殿は、三度目の移転先といわれています。
明治15年建立の石碑には、「慶長9年(1604)岩崎隼人康彪が伊達政宗から建造費の補助を受け社殿を作り、さらに明治14年福岡村で社殿を大修理した」と記されており、旧社殿の彫刻をところどころに使用されております。
境内には、鞍に似た「鞍掛(くらかけ)の石」や樹齢数百年と伝えられる「姥杉(うばすぎ)」もあります。