『ご本尊は慈覚大師(794年~864年・第三代天台座主)の作られた観世音である』
『その後、藤原安忠・森野叶右衛門に修復させたが、火災で燃えてしまい頭部のみが残っている』
と古文書に記されていましたが、残念ながら現在では何も残っていません。また、『山内には阿弥陀堂があり、本尊は恵心僧都作の無量寿仏であった』との記載もありました。こちらも『阿弥陀堂の古仏が売り払われた』『阿弥陀堂が火災で焼失した』と続いていましたが、現在は恵心僧都作の無量寿仏も阿弥陀堂も存在していません。
その後、『久しく荒れ果てていた福應寺と申す古跡に小さな庵があり、出家僧が一人安居のように住んで居た。その後は禅僧が来て入庵し、(本堂を)寛永十八年(1641年)に建立した』と記されています。この時代が禅宗・臨済宗としての慈眼山福応寺の始まり(1601年)だと考えられます。
また、当寺の本山である方広寺に残っている約200年前の資料によると、江戸幕府より一石一斗の朱印状を頂いていた、「朱印寺」であったとの記録もあります。