弥生時代、この地は遺跡の近くまで海岸線が湾入して入り江になっていて、舟を利用した交易が行われていました。
青谷上寺地遺跡は住居跡、古代人の墓はまだ発見されていないものの、弥生時代前期末から古墳時代初めの複合遺跡で、弥生前期末〜後期を中心とする集落遺跡と想定されています。
ここでの出土品は数万点もあり、特に頭蓋骨の中に一部だけ奇跡的に残っていた古代人の脳は国内でも初の古代人の脳として注目されました。発見された人骨には戦いで傷ついたとされる傷が多数みつかり「倭国大乱」をしめす可能性もあると言われています。他にも海外からもたらされたとされる鉄器などがみつかっています。