金樹寺は河島地区にある由緒あるお寺です。金樹寺の由来には「正親町天皇の永禄年間までの金樹寺は真言宗金剛寺と称して、凡そ三百有余年を経ていた。・・・河島白山神社は、天正年間当時は、真言宗金剛寺の礼拝所であった。金剛寺は寒河江本楯城主西根氏工藤勘解由の菩提寺で、当時工藤勘解由は長瀞殿と称していた。長瀞殿は最上氏との折り合いが悪く、何かの問題がおきると、西根氏はこの寺に駆け込んだので、金樹寺は最上氏に疑念をかけられ焼き払われた。その後金樹寺は浄土真宗に改宗し、延宝二(1674)年に寺号を金樹寺と改めた。金樹寺の本尊は山辺右エ門守光茂の甲胃に冠置していた仏様で、承応3年(1654)に、山辺専念寺から賜ったと伝えられている。また、寺には(中略)竜神の掛け物が宝物としてある。・・・昔、河島山裏側の最上川水面から、竜が水煙をあげて天と川との間を往来していた。旱魃時に白山境内の沼をかき回すと、夜に竜の飛翔する姿を拝むことができた。翌日には必ず降雨があった。」と伝えられています。村山市史芸術文化編を見ると、河島金樹寺の前身は真言宗金剛寺で、戦乱で焼失した金剛寺跡に文明年間に京都北面の武士藤原忠常が蓮如上人に帰依して本西と名のり、巡錫して開山したと記されています。その後、本西は山辺専念寺の住職となったとあり、両寺ともに前身は真言修験寺院であることを述べています。