いしだじんじゃ
京都府八幡市上津屋里垣内77−77
京都府八幡市上津屋里垣内に鎮座する神社です。木津川右岸側の城陽市上津屋を含め、上津屋地区の産土神です。
社伝によれば大宝二年(702年)に南西に隣接する内里地区の山中に神が顕れ、上津屋の地に祀..
社伝によれば大宝二年(702年)に南西に隣接する内里地区の山中に神が顕れ、上津屋の地に祀ったと伝えられています。
また、治承四年(1180年)源頼政の兵乱により社殿が焼失、文治四年(1188年)に源頼朝により復興されたとされたと言われ、その後元弘の乱で楠木正成が当社に願文を奉納したと伝えられています。史実かは不明ながら、伝承上では皮肉にも鎌倉幕府を開いた人物が復興した神社に、鎌倉幕府を倒そうとする人物が祈願した格好になっています。
近隣の石田地区に鎮座する二社の石田神社(茶屋ノ前の石田神社・里の石田神社/いずれも読みは「いわた」)は久世郡の式内社「石田神社」の論社を主張してる一方で、当社は特に式内社を主張していないようです。ただ、近世には「牛頭天王社」と称していた当社は明治年間に「石田神社」と改称しており、その経緯は不明です。
かつての社名が示すように当初は「牛頭天王」を祀っており、すぐ近くを流れる木津川の水害が度々あったため、この災害、そしてそれに伴う疫病の流行に対する守護を願って信仰されたようです。
また、小さな神社ながら棟札や算額、古文書などが豊富に残っており、南北朝時代の十三重の石塔もあることから、水害に遭いながらもこの地で長い間大切にされてきた神社であることが伺えます。
流れ橋交流プラザを利用