ながさわじんじゃ
滋賀県野洲市比江765
社蔵の「長澤神社表録」によれば、大宝三年の創建と伝え、近江国司紀朝臣友安が朝廷に奉聞、官符を賜わって宮殿を造営、神田、封戸が附与され、正一位勲三等長澤三処太神の勅額が掲げられたという。境内の長澤池は..
社蔵の「長澤神社表録」によれば、大宝三年の創建と伝え、近江国司紀朝臣友安が朝廷に奉聞、官符を賜わって宮殿を造営、神田、封戸が附与され、正一位勲三等長澤三処太神の勅額が掲げられたという。境内の長澤池は、菖蒲の名所として名高く、高倉院の御宇安元二年五月ごろ、藤原俊成は、「長沢の 池のあやめを 尋ねてそ 千代のためしに ひくべかりける」と詠み、鎌倉将軍源頼朝は文治三年に禁制を立て、この池の「杜若」の無断伐採を禁じた。神田・封戸を当社に寄進した。社殿は、文永年中に兵火にかかって焼失、のち建武年中に再建されたが、応仁の大乱のとき、落合因幡守の陣所となり、再び社殿・諸樓が焼失。現在の社殿は、明治五年、佐々木氏綱が再興したものといわれる。(滋賀県神社庁HPより)
天瀬織津姫尊 〔配祀神〕多記利姫神 市杵島姫神外五柱
大宝三年(703年)
一間社流造 間口一間三尺 奥行一間三尺
5月5日