はくさんじんじゃ
静岡県浜松市天竜区龍山町瀬尻430
その昔(安和元(968)年の棟札が発見されたが腐朽して詳細不明。口伝によれば鬼石家の始祖が加賀国白山神社に参宮の上、御鏡を御分神爾と拝受し、帰省して今の宮森に鎮座し、白山神社と奉称、祭祀を奉仕された..
その昔(安和元(968)年の棟札が発見されたが腐朽して詳細不明。口伝によれば鬼石家の始祖が加賀国白山神社に参宮の上、御鏡を御分神爾と拝受し、帰省して今の宮森に鎮座し、白山神社と奉称、祭祀を奉仕されたという。 又、伝えるところによれば、建武の世、御醍醐天皇の皇子由機良親王(一説には宗良親王の御子尹良親王)が犬居の城主天野景顕の居城に駐在された時、神社を建立せられ、太刀、鏡等を納め躍歌を作って祀られたという。
その後、関が原の役(1600年)に際し、奥山郷の代官片桐権右江門家は、本村の壮年者を募り鉄砲組を組織して率い、徳川の軍に従い出陣するに臨み、白山神社に詣で御社を焼き戦勝を祈念して曰く「我軍利を得て全隊恙なく帰ることを得ば、祠殿を旧に倍し再建せん」と、一隊は果たして恙なく帰ることができた。家正は数年後、慶長10(1605)年9月、祠殿を再建して誓いを果たしたという。 その後、慶安2(1649)年8月17日、幕府(3代将軍家光)は、高10石の朱印を下賜され、以後、代々朱印の下賜が続けられた。
伊弉冉尊 菊理姫神
968年
無料
あり
なし