ぎょくりんじ
佐賀県佐賀市大和町大字久池井3257
後小松朝の永徳2年(1382)鑰尼信濃守季高の建立になり無着禅師の開山である。
後小松天皇より綸旨、 及び玉林禅寺の勅額を授けられ紫衣の道場として高僧への道の修行の場であったといわれ当時寺格高..
後小松天皇より綸旨、 及び玉林禅寺の勅額を授けられ紫衣の道場として高僧への道の修行の場であったといわれ当時寺格高い寺であったことが想像できる。
しかし、室町時代の中頃戦火のため堂宇宝物ことごとく焼失した。
天文11年(1542)後奈良天皇は綸旨と勅賜玉林禅寺祈祷の二勅額を賜り、勅額はいまもなお仏殿に揚げられている。
鍋島藩になっても崇敬あつく敷地田畑を寄進し、国家安全一門繁栄の祈祷所として栄えた。
元文2年(1737)客殿、禅堂その他大半を焼失したが、まもなく客殿、禅堂は再建された。
南北朝の頃写経した大般若経600巻は寺宝とされている。
本堂前庭の観世音石仏は寛文3年(1663)二代藩主鍋島光茂公が、初代藩主勝茂公菩提のための寄進である。
曹洞宗九州三ケ寺
太陽山
曹洞宗
永徳2年(1382)
薬師如来
無着禅師
鑰尼信濃守季高