かきつばたじんじゃ
滋賀県野洲市菖蒲19
当社は天保9年(1838年)、菖蒲新田と称へし頃、幕府の新田開発用人大久保今助なる人、尾張の国(愛知県)津島の牛頭天王を勧請、現地に奉斎しこの地にあやめ・かきつばた等群生するにちなみ、杜若神社と称し..
当社は天保9年(1838年)、菖蒲新田と称へし頃、幕府の新田開発用人大久保今助なる人、尾張の国(愛知県)津島の牛頭天王を勧請、現地に奉斎しこの地にあやめ・かきつばた等群生するにちなみ、杜若神社と称し以って氏神と仰ぎ来たりしと伝える。 御祭神須佐男命は土地鎮護・農耕の神として亦、疫病封じ・厄難除の神として御神徳は広く人々の絶大な信仰を受けて居られる神様であります。 明治元年四月中旬より大雨降り続き、五月上旬には七・八尺の増水となり、加えて暴風雨発生、湖岸各地に多大な被害をもたらし、当社殿をも流失せしが御神体を奉持し、同五年時の地主・珠玖清左エ門再び社殿を建立し菖蒲部落の氏神として崇敬し来たる。 昭和二十一年、神社が宗教法人となりてより、兵主大社の所管となり今日に至る。 (境内の由緒書きより)
兵主二十一社の一社(下七社)
須佐男命
天保9年(1838年)
7月14日(祇園祭)