ひじやまじょうせき
三重県伊賀市長田字比自山
天正9年(1581)、地元の有力土豪である福喜多将監・百田藤兵衛が築城した。同年、蒲生氏郷軍と筒井順慶軍が攻撃してきた、いわゆる天正伊賀の乱の際、北伊賀の土豪ら2760人と更に妻子が最後の拠点として..
天正9年(1581)、地元の有力土豪である福喜多将監・百田藤兵衛が築城した。同年、蒲生氏郷軍と筒井順慶軍が攻撃してきた、いわゆる天正伊賀の乱の際、北伊賀の土豪ら2760人と更に妻子が最後の拠点として立て籠もるが、落城した。
随時
無し