当羽黒山(標高171.9m)の頂上に鎮座し、創建は明暦年間(1655~1657)と伝えられている。氏子の住む大淀・長島は当時大淀村・長島村といい幕府領である。現在の社殿は寛永三年に造営したものである。
天正のころ、最上川の航路が開かれその後盛んになった船運の安全を祈って創建されたといわれる。元禄・享保の盛時は250俵ほど年貢米を積んだ艜船が、一日に30~40艘も下り、のぼり船で綿古着塩などの生活物資が運ばれた。その舟運で最も恐れた所が三難所で、船頭や水夫たち通るたびにこの神社に安全を祈って詣でたという。
この神社はもとは観世音菩薩をまつる観音堂で代々一乗院(鈴木家)が別当を勤める。明治になって神社となり、明治六年八月に村社に列せられ現在に至っている。