太古より中条村の大氏神にして末社3社あり旧社領御黒印壱石五斗受領有りしが明治維新に付き御召上となる 当社神主村松駒太郎家にて代々守護仕えてきたが明治6年新神官着任となり引継後社掌一人奉仕となるまた合社、神明社は本村中条字水神申す処に鎮座していたが明治7年本社東側に遷座するまた村内各所に祀られていた猿田彦大神・大山祇命・水神社も明治7年本社に遷座される尚当社々号は牛頭天皇と称されていたが明治維新の際不相成旨お達しに付き須賀神社と改める 社名の須賀神社は祭神の須佐之男命が八岐大蛇を退治し櫛稲田比売を娶って宮殿に入り「我が心須賀須賀志伎叶」と仰せられた事により名付けられたと云われている。