創建年代不詳、往古の郡辺神社と云う。
大化の改新前久努国あり、印幡足尼を国造となす。国造は世々に久努に住す。
為に国造の遺霊を郡辺村に祀り祭神となす。927年完成した延喜式神名帳に「遠江国山名郡式内郡辺神社」と所載す。
後世神社は原野谷川の大洪水にて宝物古文書等全てを流失。社は高部村に漂着し村人により厚く祀られ明治34年渋垂神社に合祀さる。流失年代不詳。
以来当神社の社名は世々に於いて変り久努神社、賀茂神社に偲ぶ事か出来る。
徳川時代は朱印高七石、明治6年村社に列格し昭和20年宗教法人「七ッ森神社」の認証を受け静岡県十三等級社となる。
平成5年3月放火により社殿を焼失す。
社殿は同年10月再建したるものなり。