えんじょうじ
山形県村山市河島乙210
当寺の縁起によると、開山である俊聖和尚は、寛元3年(1245)幼年にして崇俊阿闍梨を師として播州書写山にこもり、建長5年(1253)剃髪、その後6年間諸国を巡り修行しました。関東においては良忠上人に..
当寺の縁起によると、開山である俊聖和尚は、寛元3年(1245)幼年にして崇俊阿闍梨を師として播州書写山にこもり、建長5年(1253)剃髪、その後6年間諸国を巡り修行しました。関東においては良忠上人に随従して浄土門に入り、名を一向と改めました。 文永10年(1273)時宗の一派を建立。弘安3年(1280)に当国に下向、その頃この辺は一面の湖水であったが、庵室を設けて布教に専心しました。ある時、容顔美麗な女性達が13人ほど聞法し念仏修行に参っていました。不思議に思った和尚は、7日目に、「あなた方はどちらのお国の方でしょうか」と尋ねました。するとそのものたちは、「私達は八杉島の影の水底竜宮城の主婆鞨羅竜王後宮のものですが、御聖の教化によって未来成仏の結縁をしたく日参したのです」と語ったといいます。竜王は説法の御礼に三国伝来閻浮檀金の尊像と他にも宝物を捧げ奉ることを申しでました。上人は当国に塩の欠けるのを思い塩の不自由なきように願ったが、竜王は快諾し、さらに堂宇建立の材の提供も申しでました。翌朝庵の裏の山ぎわに千本の角木が積まれ、庵室のかたわらには泉が湧き、三尊の如来がお立ちになり様々な宝物も置かれていたといいます。この泉には塩が含まれており、この縁起によって当山を塩常寺と呼んでいます。 開基戒阿上人より相続されて第28世、栄阿上人の代になると、宗門は栄え、檀家も百余家におよびました。しかし栄阿上人、感じるところがあり、湯野沢村(現湯沢)曹洞宗祥雲寺に移住しました。これにより門徒の約半数が和尚に従い、改宗することになりました。第29世慶阿上人の代には、本尊が盗難にあいましたが、ある夜門徒の内長右衛門の夢枕に尊像が立ち、自ら行く先を語ったといわれています。これにより、無事本尊は遷られ、その後は秘仏として奉っています。
塩沢山
耒龍院
浄土宗
阿弥陀如来
戒阿弥上人
耒龍院塩沢山塩常寺
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