ばんしょうじ
山形県村山市岩野18
鶴寿山万松寺は永禄5(1562)年、定林寺十世庵室能宣の開山した寺です。 万松寺の後ろに昔から観音山という山があります。この御観音様は三十三身と申して人々の苦しみや悩みごとに応じて一仏が三十三の..
鶴寿山万松寺は永禄5(1562)年、定林寺十世庵室能宣の開山した寺です。 万松寺の後ろに昔から観音山という山があります。この御観音様は三十三身と申して人々の苦しみや悩みごとに応じて一仏が三十三のお姿に変化せられて人々の苦しみや悩みごとを救ってくださる偉い力をお持ちの仏様です。今山に上る途中の両側に立てられている三十二身の石の観音様は、それぞれがそれぞれその人その人の悩みごとや苦しみごとを救うお姿です。 この御堂は、明治前は馬頭観音を本尊様としていました、明治初年からは聖観世音菩薩の観音様を本尊様としています。最初はいつごろに建てられた御堂か、また観音山という山の名前についても聞かれると詳しいことは私も聞いておりませんし、書いたものも残っておりませんので分かりません。でも、御覧ください。観音様の後ろ脇にある松の木の太いこと。300年か500年前からの大木です。この松が植えられたときから観音様の御堂があり、観音山という名前がついていたのでしょう。 馬顧毅音様という仏様はどういう御利益があるのかというと・・・。昔、当時80歳になるばあちゃんから聞いた話です。 明治時代よりも前の時代は、今のように自動車等というものはなかったし、また自転車、リヤカーなんていうものも勿論無かった。そこで人の乗り物も物の運搬はすべて農耕馬に頼っていました。物は馬の背中に積んで運んだし、医者や村の役人などもすべて馬に乗って行ったり来たりしたものです。.交通上重要な役目をつとめたのが馬でした。 その馬に乗って樽石から湯野沢に行く場合は、必ず樽石の今のM商店のところで馬から降りて手網を取って歩き、万松寺馬頭観音様に手を合わせ拝んで前を通り今のG商店のところまで歩いてから馬に乗って湯野沢に行ったそうです。不思議なことに、もしM商店のところで馬から降りないで馬に乗ったままこの馬頭観音様の前を通ろうとすると、何の訳かどうゆう理屈か分からないが馬の背中から3メートルもほうり投げられたといいます。実に霊験あらたかな馬頭観音様でありました。. 馬も様々で利口な馬、馬鹿な馬、暴れ馬もおったのでしょうし、道路も今のような舗装道路ではなく田んぼのくろの端くらいの道で石ころだらけの道であったでしょう。こうした道を馬の背中に大切な荷物を積んで樽石から谷地あたりまで運んだのでしょう。途中、馬が暴れたり転んだりしないように、また災害や泥棒等にあわないよう、交通安全を祈願し馬と一緒に馬頭観音様の前に手を合わせてから通って行ったのでしょう。 皆さんも、困ったことや苦しいことがありましたら手を合わせて願いのかなうように観音様を拝みましょう。
鶴寿山
曹洞宗
1562年
釈迦牟尼佛
定林寺十世庵室能宣
北郡三十三観音霊場第7番札所
無料
有り