かもじんじゃ
滋賀県甲賀市水口町虫生野393
社伝によれば室町幕府の衰退により、 一、四六七年応仁の乱以後、戦国時代となり、山城の国郷民の德政要求や、土一揆蜂起寺五〇有余年の姜政要求運動を端緒として「後柏原帝の大永年間(一五二一年)山城の国加茂..
社伝によれば室町幕府の衰退により、 一、四六七年応仁の乱以後、戦国時代となり、山城の国郷民の德政要求や、土一揆蜂起寺五〇有余年の姜政要求運動を端緒として「後柏原帝の大永年間(一五二一年)山城の国加茂神社の分霊が勧請され、当地の氏神としての処に祀る」とある。社殿は中御門帝の正徳二年(一七一二年)の建立であるが、わしきに依り、昭和四十一年大修理のため着工、同四十六年完工す。祭神天児屋根命は、元藤本神社として当字、安土谷に鎮座、官許を得、明治四十五年五月当社に合祀せらる。
天津彦彦火瓊瓊杵尊(天尊) 天祖彦火瓊瓊杵尊(天照大神)
本殿 一間社流造銅板葺 間口間三尺 奥行間二尺 拝殿 入母屋造葦亜鉛板葺 間口二間 奥行二間
4月25日