あんりゅうじ
佐賀県佐賀市諸富町為重1586
創建は天平年中(729-765)。開基は行基菩薩。旧寺号は長福寺。行基は、筑州において1本の良材を得、これを滄海に放って、この木の流れ着いた地に仏像を造って地方の平安を図ろうとした。放流された尊木は..
創建は天平年中(729-765)。開基は行基菩薩。旧寺号は長福寺。行基は、筑州において1本の良材を得、これを滄海に放って、この木の流れ着いた地に仏像を造って地方の平安を図ろうとした。放流された尊木は寺井津に漂着し、薬師像7尊(川副七仏)を刻んで7か所に道場を開きこれを安置した。当寺は、その7尊像が造尊された場所である。現在でも、当寺にはそのうちの1尊像が秘仏として安置されている。 天正12年(1584)龍造寺隆信が軍を休めるために入寺した記録もあり、隆信から地所・地米の寄進を受けている。 行基が和銅4年(711)に草創したといわれる河上山実相院元觸内神通院(東寺井)は、旧藩時代は藩主龍造寺家・鍋島家の祈願所であったが、大正6年(1917)当寺に合併された。 文化6年(1809)建造の本堂には、鍋島勝茂の病気平癒のお礼の絵馬が奉納されている。
金剛山
金剛定院
真言宗
御室派
天平年中(729-765)
薬師如来
行基菩薩
川副七仏第2番 佐賀新四国八十八ヶ所霊場第27番
銅造弁財天坐像・「なんじゃもんじゃさん」