しんめいじんじゃ
静岡県浜松市南区米津町1608
当社は明応七年(一四九八年) 大津波にて海岸 地大半が流失後、永年五年(一五〇八年)三善 為連殿が浜松城築城のおり、伊勢天照皇大神 宮の御分霊を当地に招き神明宮として土地の 守り神を整え奉る必要あり..
当社は明応七年(一四九八年) 大津波にて海岸 地大半が流失後、永年五年(一五〇八年)三善 為連殿が浜松城築城のおり、伊勢天照皇大神 宮の御分霊を当地に招き神明宮として土地の 守り神を整え奉る必要ありと元竜二年(一五 七一年) 徳川家康公入城の時、藩臣本多作久 左に工事を執行させ領有している海岸の土地 新田開発、同三年神殿を建設、御神体を 移し藩臣笹尾五兵衛が神主となる。その年穀 物が豊かに稔り、それにより米津神明宮と尊 称される。代々城主の信仰あつく、以来この 土地を米津浜と呼ぶに至れり。
天照皇大御神 豊受比賣之命 健速須佐之男之命
10月16日