がんしょうじ
静岡県袋井市浅羽3598
小笠山の西麓に位置する法多山(はったさん)・赤尾山・篠ヶ谷山(しのがやさん)の三山の一つ、篠ヶ谷山に築かれた岩松寺。今から1200年も前に建てられました。高野山を総本山とする浅羽ではもっとも古い真言..
小笠山の西麓に位置する法多山(はったさん)・赤尾山・篠ヶ谷山(しのがやさん)の三山の一つ、篠ヶ谷山に築かれた岩松寺。今から1200年も前に建てられました。高野山を総本山とする浅羽ではもっとも古い真言宗の寺院です。平安時代の終わり頃、浅羽の多くの部分は浅羽荘と呼ばれ、藤原氏の関係する荘園でした。この荘園を目に見えない世界から守るために幾つかの神社や寺院が主だった場所に計画的に配置されました。この岩松寺、そして今は名前しか残っていない善能寺、三社祭りで有名な梅岡・浅岡・浅羽の各八幡神社と春日神社、松原の王御前神社もこの浅羽荘を守るために計画的に築かれた寺社です。神と仏を区別せず、同じものとして扱う時代であったこの頃は、互いに協力し合って祈祷や祭礼を行っていました。 現在では静岡県の文化財に指定され、岩松寺に保存されている鰐口(寺社の軒先に吊るし参拝者が打ち鳴らすためのもの)は見付城主源氏延がそのような戦いの中で勝利を祈願し1522年に遠江国分寺(とおとおみこくぶんじ)へ奉納したものだといわれています。そのほかにも歴史の古い岩松寺には袋井市指定文化財として指定されている平安後期の聖観世菩薩像(しょうかんぜおんぼさつぞう)や不動明王像が大切に祀られています。また岩松寺は1871年(明治4年)6月4日に、平芝の陣屋跡に長屋を構えて入植した旧幕臣、神谷好治と本目保三が一人の娘をめぐり篠ヶ谷池のほとりで遠州最後の果し合いを行ったことでも有名です。勝負は本目が勝利しましたが、翌日彼の兄が「喧嘩は両成敗のご法度」ということで弟を切腹させます。今も岩松寺には1日違いの命日が刻まれた墓が並んでいます。岩松寺は平安時代末期から現在までの1200年間の歴史と浅羽荘の文化を垣間見ることのできる貴重な寺院です。
有り