ちゅうせんじ
岐阜県可児市広見1035-1
創建年代は不詳。当初は仏眼寺と称していたが、衰退した。 江戸時代初期、当地の領主・中川重勝によって再興された。重勝は妙心寺137世・愚堂国師を招いて中興開山とし現在の寺号に改めた。 伝承によると..
創建年代は不詳。当初は仏眼寺と称していたが、衰退した。 江戸時代初期、当地の領主・中川重勝によって再興された。重勝は妙心寺137世・愚堂国師を招いて中興開山とし現在の寺号に改めた。 伝承によると、愚堂国師が雨乞いの祈祷を行ったとき誤って雷様の腕を切断し、その腕を供養するため夕立ちの神として祀った祠を建立したとされる。この地域で日照りが続いたとき、祠で雨乞いすると必ず雨が降ったと伝わる。このならわしはやがて廃れ、祠も荒廃したため、雷様の腕は中川寺に移して納められた。
広見(ひろみ)にある臨済宗妙心寺派の寺院。
臨済宗
臨済宗妙心寺派
不詳
江戸時代初期
愚堂東寔(ぐどうとうしょく)