鹿児島神宮の北東300mほどの地に鎮座する石體神社は、 御祭神の天津日高彦穗穗出見尊、豊玉比賣命が都として営れた高千穂宮の正殿の在った所で、鹿児島神宮の元宮にあたります。和銅元年(708)に鹿児島神宮は現在の位置に遷座
し、その跡に社殿を造ったのが石體神社です。その標として石體神社の横には「神代聖蹟高千穂宮跡」の碑が建てられています。
豊玉比賣命は、御子神の鵜鴎葺不合尊とを鵜うの羽根で葺ふく産床の葺ふき終えないうちにお産みになった程お産の軽かった方で、鵜鴎葺不合尊との名はその故事に由来しています。安産の御神徳で篤く崇敬されており、本殿の前の石塔の小石を御神体の代わりにひとつを頂いて、お産後は河原の清浄な小石を拾い2個にしてお返しする慣があります。尚なお、岩田帯はこの石體神社より出た言葉という説があります。