永正元年(1504年)、東陽英朝(大道真源禅師)によって創建された。2世は山県郡定恵寺から来た篤州和尚。
明治9年(1876年)、火災によって堂宇が焼失した。このとき古文書類も失われたため、詳しい歴史はわからなくなっている。のちに7世・諦山和尚によって堂宇が再建された。
明治24年(1891年)、濃尾地震によって再建された堂宇が倒壊した。3年後に9世・宝家和尚が茅葺きの仮堂において宗派で定められた旧宗規を施行した。
大正11年(1922年)、10世・禅道和尚が堂宇を再建した。
現住職は横山修三和尚。