もと若一王子社と称し、山麓の熊野街道大辺路に面して山麓に鎮座していたのを、昭和16年6月、山頂の勝景地に神殿を造営して奉遷した。
社伝によると、欽明天皇10(520)年の頃の創建とあるが詳でない。
最も古い「田辺村々・瀬戸・神社書上」(慶安2年)にも記されていることから、慶安2(1649)年以前の創立であることは確かである。
明治維新の神仏分離の動きの中で、明治元年9月、大潟宮(大潟神社)と改称した。
同6年5月、村社となる。
同10年10月には村内の神社、馬目神社・愛宕神社・菅原神社・田中神社・金刀比羅神社を夫々合祀して境内社とした。