創建は長録年中(1457-1459)に村の氏神として祀られ、浜の天神と呼ばれた。現在の海岸線から約百米隔っているが、この間の傾斜度をみても五百年の間に海が後退したことがうかがわれる。領主 の戸田・水野家尊崇あつく、社領、社殿、神宝の寄進があった。「尾張志」に天神ノ社、神明ノ社内宮一所外宮一所、山神ノ社、五社共に河和村にあり、 と記すが、 すべて天神社の境内に移され境内社となっている。戦後は小学校にあった招魂社も境内に移し、護国神社に なっている。明治5年村社に列格、同40年10月26日、供進指定社となる。